月の主題「感謝しつつ」
園長 藤本 昭子
秋が深まり、各地で神さまに感謝を捧げるお祭りが賑やかに開催されています。高く澄んだ青い空に浮かぶうろこ雲や羊雲、そんな空をぼんやりと眺めているだけでも、ほっとしますね。天気が良ければ、31日に年少組は大岡公園に、年中・年長組は香貫山への園外保育を計画しています。紅葉が始まる頃、ドングリや松ぼっくり、色づいた葉っぱを拾い友だちと見せ合う楽しそうな子どもたちの姿が今から目に浮かびます。普段とは違う環境の中で五感を通して感じる風の匂いや鳥のさえずり、神さまがご用意くださった様々なプレゼントに感謝しつつ豊かな秋を過ごしてきたいと思います。
11月15日は収穫感謝礼拝を予定しています。礼拝後の昼食は、野菜たっぷりの豚汁を作って各クラスで毎年食べています。野菜嫌いの子どもたちが多くいますが、この豚汁をきっかけに家でも食べられるようになったというお話を保護者の方から聞くことがあります。友だちの「美味しい!!」の声に「ちょっと食べてみようかな…」と心を傾けていくそんな姿を想像しつつ、今年も豚汁作りを頑張りたいと思っています。
当たり前に食べているもの、それは神さまからの恵みであり、たくさんの人の手で大切に育てられてきたものです。「いただきます。」の言葉の中には、「命をいただきます。」という言葉が、「ごちそうさまでした。」の言葉の中には「命をごちそうさまでした。」という言葉が隠れています。お食事をする度、感謝の気持ちを常に持って過ごして行きたいと思います。
11月の聖句「どんなことにも感謝しなさい」 (テサロニケの信徒への手紙一 5章18節)
チャプレン 窪田 真人
私がまだ教会の現場に出る前のこと、3年間神学校で基礎を学んでいた時のことですが、全寮制で自由のない生活、迫り来る勉学と課題、毎日のように出されるレポート、ギリシャ語やヘブライ語に実習・・・・・・そして集団生活に加えて常に己を振り返らなければならないという精神的な訓練をも常とする生活を送っていました。かなり苦しい3年間でしたが、こちらも嬉しいことがあります。それは、今でも心から信頼できる仲間と出会えたことです。普段連絡は取らなくても、何かの会報に掲載されている同期の文章を読んだ時や大きな会合で司会をしたりなど、活躍のニュースが聞こえてくるたび本当に嬉しく喜ばしい気持ちになります。誇らしくもなります。あんなに苦しい3年間を耐え抜いたんだぞ!という気持ちですね。これはどのような職業もそうかもしれませんが、私たちは希少な生き方をしていますので同業者もそう多くありませんので、悩みもなかなか共有できません。ですから、そんな仲間に会えたことは本当に感謝です。
キリスト教において、「喜び」と「祈り」と「感謝」は重要です。その中でも忘れてはいけないのが「どんなことにも感謝する」ことです。イヤなことは記憶に残りやすいものですが、良いことを思い出すようにする思考を身につけた時、それが、「どんなことにも感謝する」ことに繋がるからです。まず、一般的に当然と考えられていることについて感謝します。なぜなら、当然のことなどはないからです。健康、友達と会えること、すべてが当然ではなく、感謝するべきことだというのを、私たちは時に思い出します。世の中には、不安になる要素がいくらでもあります。だからこそ、感謝できる人が幸せな人なのです。